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クチトンネルツアー
 サイゴンから北西へ50km、クチトンネルへ。

 ベトナム戦争中、ベトコンが南ベトナム軍&米軍と戦うために掘った地下トンネル網(総長250km)です。

 ゲリラ戦を駆使する神出鬼没なベトコンには、大国アメリカも遂に勝てませんでした。

 複雑なトンネル内は、会議室、寝室から手術室まで。攻め入られた時には、サイゴン川水中に逃げる脱出口までありました。

 今でも爆破された戦車が残るクチのジャングルにて、戦争当時の面影を見ることができます。

 ※トンネル施設は、怖くてヘビーなものではありません。

クチトンネル

ツアースケジュール
料金に含まれるもの
お一人様あたりの料金
「ベトナム戦争」って?

▼ツアースケジュール (8:30〜14:30)

8:30 サイゴン出発(宿泊先のホテルまでピックアップにあがります)

― 途中、水牛が群れる田園の中、民家のライスペーパー作りと、フランス統治時代に作られたゴム園を見学。

水牛 ライスペーパー1 ライスペーパー2
ゴム園1 ゴム園2

10:00 クチトンネル到着。

― 施設で「クチトンネルについてのビデオ(日本語)」を鑑賞。
ビデオ視聴室には、トンネルのジオラマもあります。

ビデオ 模型

― ビデオ鑑賞後、トンネル網を見学。

当時のベトコンの生活様式やいろいろな仕掛け罠など、説明を交えながらコースを周ります。
途中、ベトナム戦争中に実際に使われたアメリカの戦車もあります!

穴 罠1 罠2 戦車

  なんと!実弾射撃が出来ます!
※オプション、ツアー代金別(1発1.3US$)

  • 拳銃(コルト45、リボルバー式)
  • ライフル(AK47)
  • 機関銃(M 60、M30など1分間に600発連射可能)
 旅行者が機関銃を撃てる国なんて他には有り得ません。
 銃は固定されているから、女性でも安心です。
 動画付きデジカメをお持ちなら、その瞬間を録画いたします。一生モノの記念ですよ!

射撃場1 射撃場2

― コース終盤には、実際にトンネルに入っていただけます。
※トンネルの長さは30・60・100mと、3段階に分けて出口が設けてあります。
体力に自信のある方は、是非100mに挑戦してみてください!

トンネル入り口 トンネル中 トンネル出口

― コース最後に、ベトコンの携帯食・キャッサバ(イモの一種)を試食

キャッサバ風景 キャッサバ

12:00 クチトンネル出発。
13:00 サイゴン到着、昼食。

― サイゴン一有名な「ベトナム風お好み焼き」の店、46Aバインセオにて、選りすぐりの品々をどうぞ!

  • バインセオ(ベトナム風お好み焼き)
  • 揚げ春巻き
  • 生春巻き
  • ハスの茎サラダ
  • ベトナムプリン
昼食1 昼食2 昼食3 昼食4
昼食5 昼食6 昼食7 昼食8

14:30 昼食後、宿泊先のホテルまでお送りします。

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▼料金に含まれるもの

  • 日本人ガイド(新堂がご案内)
  • 車チャーター代
  • トンネル入場料
  • 昼食・昼食時のお飲み物(オールフリー、ビール等のアルコール類含む
  • キャッサバ試食

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▼お一人様あたりの料金

  • 参加者2名………5,500円
  • 参加者3名………5,000円
  • 参加者4名以上…4,500円

※上記は、「ツアー全体の合計参加人数」の料金です。
 1名様でご参加でも、他の参加者とあわせ、ツアー全体で4名以上になった場合は4,500円となります。参加状況は日によって異なりますので、まずはご希望日をご連絡ください。

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▼「ベトナム戦争」って?

 クチトンネルでの鑑賞ビデオ・展示物は、やはりベトナム側から見た一方的な視点で作成されているのが事実です。

 フランス統治時代(1887年)からのベトナムの歴史・戦争当時の時代背景。何故アメリカが参戦したのか?そして戦争終結(1975年)から今日に至ったベトナムの軌跡まで。ベトナム人ガイドからは決して聞けない、日本人ガイド・T&Tトラベルならではの「ベトナム戦争の真実」を、分かり易く丁寧にご説明いたします。

 !ベトナム戦争を解くキーワード! 
ホーチミン  北ベトナムの大英雄。戦争中に亡くなりましたが、太平洋戦争が終わった1945年に、植民地支配をしていたフランスに対し、共産主義を掲げ革命を起こしました。
 これがベトナム戦争の始まりです。
ベトコン  英語ではありません。ベトナム語のVIET NAM CONG SAN(ベトナム共産)の略称です。
 南ベトナムの人でありながら、北ベトナムのホーチミンを支援し、内部から撹乱。勝利へと繋がる重要な役目を果たしたゲリラ兵を指します。
アメリカ参戦  ベトナム戦争は、決して「ベトナムとアメリカの戦争」だったわけではありません。戦争の主体は「北ベトナム(共産主義)」と「南ベトナム(民主主義)」です。
 アメリカは「南ベトナム」を支援し、南ベトナム軍と一緒になって戦ったのです。

 それは何故か?

 ― 当時の「米ソ冷戦状態」という背景の中、ベトナムを初めに、アジア全土が「共産国」に変わっていくのを恐れたためです。
 出兵したのはアメリカだけではありません。次に多かったのは韓国兵(総数32万人)。その他、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン兵も、南ベトナム軍に加わり戦いました。

枯れ葉剤  ゲリラ戦を得意とするベトコンが隠れる事が出来ないようにられないよう、ジャングルを消滅させる散布剤。
 枯葉剤が含むダイオキシンのため、多くの奇形児が生まれたとされています。
ボートピープル  戦争終結後(1975年)負けた南ベトナムは、共産国と変わってしまいました。
 多くの人が国に土地、財産を奪われ、殺される人も大勢いました。特に裕福だった華僑が狙われました。そんな中、「せめて命だけは」という人々が何万人と船で逃げ出し母国を捨てたのです。
 そんな彼らを称して「ボートピープル」と呼ばれるようになりました。

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